はるのねいろ

まめたろうとこまめの成長記録です。

子育てに向いているかいないか(親業修行中)

「子育てに向いていないんじゃないか」と、ときどき、もしかしたら頻繁に思うことがあります。

 

土日や祝日をまめたろうと2人で過ごすときは特に顕著。ずっとまめたろうの遊び相手をしているのは、私は無理です。帰宅してから、ずっとまめたろうの相手をしているのも、どうしても無理。

 

子どもと1日中遊んでいても全然大丈夫!疲れない!むしろ楽しい!という人も、きっと世の中にはいるのだろうなぁ…。私は無理です。

 

こんな風に、おかあさんによって来てくれる時期なんてきっとあっというまで、気づけば親と一緒なんていや!という時期に突入しているのだろうと思うと、「おかーさん」って近づいてきてくれるこの時期を大切にするべきなのかもしれないのだけれど…。

 

横になっていると、かーちゃんの上に登ってくる。眠くてうとうとしていると、絵本を顔に向かって投げつけてくる。髪の毛を引っ張ったり、顔を叩いたりする。それが全部、わたしに相手してほしい、自分のことを見てほしい、というメッセージなのだということも、わかってはいるのだけれど。こういうときに、こういう痛いことをされると、かーちゃんは怒っちゃうのです。痛いことをするのは怒るべき事項かもしれないから、それはいいのかもしれないけれど、そういう行為を引き出しているのは、かーちゃんの態度なので、なんだかどうなんだろう…と思ってしまったりもする。

 

ふと気になって、「子育てに向いていない」で検索をかけてみました。すると、「子育てに向いていない、と検索をしているあなたは十分向いています。むしろ、子育て100%完璧にできてる!と思っている人のほうが心配です」というような文章にぶつかりました。た、たしかにそうかも…!

 

そして、「子どもは成長していくから、「今」向いていないと感じても、思春期や反抗期の子どもと上手に向き合えたりなど、「今」とは違う課題に出会ったときに、できることがあるかもしれない。子育てという長いスパンを考えたときに、「向いていない期間」があるのは当たり前」、「向いていないこと・向いていることがそれぞれにある」、という説明が、なんだかすっと落ちました。

 

これはこれまでの「仕事」としての「教育」と一緒なのかもな、と。いろんな学校段階の子たちの「教育」に携わってきたけれど、得意な事・苦手な事があったなぁ、と。息子とのいろんなやりとりも、得意なこと・苦手なことがあって当たり前だよなぁ、と。

 

一番大事なことは、まめたろうが健康に暮らせていること。1日3食+おやつ+α食べて、お昼寝も夜もしっかりしていて、熱を出しても1日で治るような、健康な子(歯磨きが心配ですが)。

 

「向いているか向いていないか」で悩んでも、あんまり具体的な解決にならない。そのときそのときで、できること・できないことを考えるしかないのだろうな、そうやって悩むことが子育ての上で大事なのだろうな、と、そんな風に思う今日このごろです。