はるのねいろ

まめたろうとこまめの成長記録です。

本当はあそびたかった(2歳8か月)

年度末。まめたろうの保育園でも、転園するお友達がいます。お別れ会もかねた保護者懇親会があり、まめたろうと2人で参加してきました。

 
いつも園で遊んでいるお友達とその保護者の人たち、そして先生たち。いつも知っているメンバーがいるはずなのに、まめたろうは母ちゃんに終始べったりで、なんなら「かえる、もうかえろー!」と出口に向かって行ってしまったり。
 
そんなこともあり、母ちゃんは思ったほどほかの親御さんとお話ができませんでした。そしてご飯もあまり食べられず。しょんぼりした気持ちで帰宅すると、まめたろう、急に大騒ぎ。
 
「たろーくんといっしょ、いくのー!おそといくのー!まだあそぶ、もっとあそぶのー!」
 
そうかぁ。母ちゃんにも覚えがあります。本当はみんなと一緒に遊びたいのに、いつもと雰囲気が違うと固まってしまって、その輪の中に入れなかったりした記憶。
 
正確には、会の終盤(デザートが出る頃)には慣れてきた様子で、お友達とも遊びはじめ、帰り道では途中まで近所のお友達と一緒でした。ちょうど遊びに向かう気持ちだったのに、お友達とバイバイして家に帰るなんて!…と思ったのではないでしょうか。
 
「あとで泣くくらいなら遊べばいいのに」、なんて、そんなのは大人の都合のいい理屈。というか、大人になった今でも、母ちゃんは懇親会でうまくいかなくて落ち込むこともある。大人も子どもも関係なく、いっしょのはず。
 
本当は一緒に遊んじゃうことができれば、どんなに楽か。それができなくて、でもその場は楽しくて、本当はもっと遊んでいたくて。泣いているまめたろうが、とっても不憫に思えました。
 
この日は、とんとんとお布団に入ったら、すやすやとすぐに眠りました。その日は例によってお昼寝できず、会が始まる頃は相当眠そうだったので、それもあったのかもしれません。
 
この話を父ちゃんにしたら、「僕もはっきりとは覚えていないけど、そんなようなことがあったと思う」と。両親とものそんな人見知りな性格が、まめたろうにも受け継がれちゃったのかな。せつないことが多いから、こんなところは似なくてもよかったのに。
 
でも、気持ちはわかってあげられる。この先、また似たようなことがあって、もう少し大きくなって、お話もわかるようになったなら、「母ちゃんも知ってるよ、その気持ち。」って話してあげられるかな。