はるのねいろ

まめたろうとこまめの成長記録です。

ごはんの断り方(6歳)

ありがたいことに、まめたろうはあまり好き嫌いが無い。というか、好き嫌いはあるのだけれど、「嫌いで食べれない」というものが、ほとんどない。ごはんをつくる母ちゃんとしては、こんなにありがたいことはなく、何よりお味噌汁が好きということもあって、具沢山お味噌汁に頼ることが多い。

 

でも、「食べられないものがない」ということは、いやいや文句を言いながら食べることももちろんある、ということである。そしてつかれているときほど「いやいや文句を言いながら食べられる」ことが辛いことはない…と思う。「文句があるなら食べなくていいよ」とキーキー怒ったことは数えきれない。

 

そんな繰り返しの中で、同じくらい何回も言い続けてきたのが、「自分がつくったものを食べてもらっているときに、そういわれたらどんな気持ち?」ということだった。「苦手なのはあるからわかるよ。でも、言い方を考えようよ。自分なら何て言われるならいいの?」と、言っているうち、また、彼自身も大きくなってきたからか、少しずつ言い方が変わるようになった。

 

「おなかがいっぱいだから」と本当は満腹じゃないのに言ってみたり、「昔は好きだったけど今は苦手」とか言ってみたり、「今日はそういう気分じゃなかった」と言ってみたり。まめたろうには悪いけれど、母ちゃんの疲れ具合や機嫌のありかによって、その言い方に対するリアクションが違っただろうな、と思うのだが、そんなやりとりを重ねてきた。

 

そしてつい先日のこと。すごくすごく申し訳なさそうな表情で、「おかあさん、ぼく、お母さんがごはんを作ってくれるのは嬉しいんだけど、でもこれ、味が濃くて、ちょっと食べられないんだ…。」と、彼は言った。

 

薄味の我が家にしては味が濃くなったなぁと思った日のことで、まめたろうがそういうのもわかった。でもそれ以上に、ごはんをつくってくれたことへの感謝も織り交ぜながら、自分の要求を述べる…と、なんて高度なことをしているんだ、と、びっくりしてしまった。そして、「味が濃いから食べられない」の一言を言うのに、こんなに気を遣わせてしまっているのか…と、よっぽど日々の自分の言い方がきついんだな…とも思った。

 

その日は、「じゃあ残していいよ。お母さんがたべるね。」となった。親になってからつくづく感じていることではあるのだけれど、親の疲れや機嫌のありかで、子どもって本当に振り回されるんだなぁということ、子どもにとっての親や大人の言葉の影響力がそうとうあるんだということ。だいじなのは、そうならないように疲れすぎないことなんだろうけどね…とも思うのだけれど。