子どもたちは、いろんな経験を経て、いろんな仮説をたててやってみて、また新しいことを発見して、と、「小さな研究者」みたいにして日々を過ごしているようだなぁ、と思います。
「そうなんだ!」っていう発見や気づきそれ自体が嬉しい、そんな感覚を全身で表現しているのを見ると、こちらも刺激をうけるし、「なるほど、そう考えたんだなぁ」と、彼らなりの仮説の筋道を知るのも面白いです。だって、ちゃんとそれなりの論理がそこにはあるから。
まめたろうも日々、いろんな仮説を立てて過ごしています。自分の経験の範囲から仮説を出すので、それも反映されていてとても面白い。
あめはなんでふるんだろう?→くもがそらのうえのふにいったら、あめになるんじゃない?
このあいだのおもしろい会話を一部書き出してみます。お風呂の話。
(ライトを指さして)「これはせんめんきっていうんだよね~!」
「違うよ、これはライトっていうんだよ。こっちが洗面器!」
「ライトはなんでいるの?」
「何でだと思う?」
(すこし考えて、お風呂から上がり、また入るという動きをしながら)
「ライトがないと、こうやってこうやって、こうすることができないでしょ~」
「そうだね。」
…という感じでいくつかの行動をしながら、「ライトがないと、〇〇ができない」と言い、
(目をつぶって)「めをつぶると、まっくらになっちゃうでしょ~。ライトがないと、これとおんなじになっちゃう。だから、ライトがひつよう!」
こんな感じで、ライトがなぜ必要なのかを自分なりにいろいろと考察して話してくれました。ここまで話してくれたのははじめてだったので、驚いてその日は夫に思わず報告です!
「なんで〇〇なの?」と聞かれることは多いのですが、こたえるときもあるし、「なんでだと思う?」って聞くこともあるし、母ちゃんもわからないのだとこたえるときもあるし。
それに対して、まめたろうは「ぼくもわかんなーい!なんでなんだろ~?」というときもあれば、「〇〇なんじゃない?」って答えてくれることもある。私がこたえるときは、「そうなんだ~!」っていうこともあれば、「うん、そうだよね~」ってさも自分も知っていました風に答えることもある(笑)。
ちなみに、この「うん、そうだよね~」などの知ったかぶりは、母ちゃんの悪い癖がうつったな…とちょっと自分でげんなりしているところです。同様に、「テレビはお風呂のあとはみないよ~」「しってる!」などの「しってる!」っていう言い方も、出典は私。
こういう自分は嫌だなと思っていて、なおそうと日々修行中ではあるのですが、まめたろうに対しても知ったかぶりみたいなことをしているときがあるみたいで、いつも「やってしまった~!」と言ったあとに思うのですが。これって「やってしまった!」と思ったあとに「なんちゃって~!」「って言わなくてもいいのにね~!」とか付け足せば多少は和らぐのでしょうか。
知らないこと、まちがうこと、失敗することもあってもいいんだよということを自分にも言い聞かせなければな…と思う母ちゃんでした。