はるのねいろ

まめたろうとこまめの成長記録です。

子育てはなぜ大変か(親業修行中)

まめたろうに、「おかあさんはぼくのいうことをぜんぜんきいてくれない!」と言われることが増え、そこから「そんなわけない!」と言い合いすることがかなり増えた。理由はそのときどきで色々あるものの、自分としても、また、こめさんからみても、まめたろうの行動を「指示」している場面が多い。理由はいくつかあるものの、そのうちのひとつは、「小さい頃の子育て感覚が残ってしまっているのでは…」というものだ。

 

やっと親歴6年を終えようとしているところだけれど、子育ての大変さって「子どもは成長している」ことにあるのかな…と、思い、そんなことを先日、こめさんに話していた。「成長するのが早すぎて、親の子ども理解が追いつかない、追いついたと思ったら、もう次のステージにいる」、と。

 

自分ひとりでは何もできない新生児からはじまり、少しずつ少しずつ、時には急速に、できることを獲得していく。それに伴い、親の支援体制も当然変わる。いつまでも全部してあげていたら、それは子どもの成長の機会を奪うことになるので、少しずつ自分でできることを任せていく…。

 

要は、「こういう対応でよさそうだな!」と思ったときにはもう次の段階に進んでいて、次の対応を考えなければいけない、マニュアル化することが絶対にできない営みだよな~…ということ。

 

この任せ方の塩梅が本当に難しく、特に時間に余裕のないときはそりゃもう無理な話で、おだやかに解決できるときもあれば、強制終了させるときもあり、結果かえって時間が長引いてしまったり、それくらいなら最初からやらせればよかったよなぁ、と思ったり。一方で、「それくらいのことはやってくれ」ということを「やってくれ」と頼まれ、「できることは自分でやってくれ」と言ってみたり、いやいやでもきょうはつかれているのかな?などと子どもの状況を想像できる日もあったり。親のコンディションもさまざまである。

 

とはいえ、まあおそらくだいたいそんな感じで、親も子もお互いの関係・距離感をその都度作り直していくものなのではないかなと思ってはいたのだけれど、それがこんなに難しいことだとは思っていなかった。気づいてもいなかった。こめさんとも話し合って、おそらく最近の彼との衝突は、「小さいころは言葉がなくてもわかってあげられた」という感覚からくる言葉ややりとりが、今のまめたろうにとっては「指示」になってしまっているんじゃないか…ということにもありそうだ、と話して、やっと気づいたくらいだ。

 

「この子のことをわかっているのは私だけ」「私はこの子のことをわかっている」という「思い込み」を形成する期間は、子育ての特に初期に起こりやすいように感じていたため、気をつけないとな…と思っていたのだけれど、知らず知らずそういう気持ちになっていたんだな、と、自分でもびっくりする。「大人の思い込みで子どもを見ない」って、本当に難しいなぁ。自分も相手も、同じ人であっても日々変化しているっていうことも、わかっているのに、本当に難しいなぁ…。