はるのねいろ

まめたろうとこまめの成長記録です。

言葉を重ねる(親業修行中)

私は他者とコミュニケーションをとることが苦手だ。…と、これだけを言っても何も言っていない、というのが最近我が家で話していることで、たとえば「専業主婦に向いていない」といっても、そこでいう「専業主婦」が何を指しているのか、具体的に「専業主婦」と言われていることの「何」に「どう」「なぜ」向いていないのか、まで言わないと何も言えていないよね、などと話している。

 

そう考えると、冒頭の一文目についてももう少し丁寧に書かないと何も言えていないと思う。これも家族と話していてようやくわかってきたのだけれど、私は文脈を読んで会話の流れを予想・想像することがとっても苦手だ。「今この話をしていてこう言っているんだから、こういう意味だよね」という「想像」ができないので、相手からすると突然トンチンカンなことを言われたように思われ、場合によってはふざけているのかな、とか、天然ぶっているのかな、とか思われることがある。そして私のほうからしたら、ふざけているわけでも天然ぶっているわけでもなく、本気で言っている。家族はそんな私のことがわかっているため、「また言ってるな~」という感じで突っ込みをいれたり、流してくれたりしている(と思っている)。

 

さて、子育てをしていて改めて気づくのは、私の説明の「回数」の足りなさだ。一回言えば伝わるだろう、と思っている、あるいは、一回で全部伝わるように言わなきゃいけない、と思っていることが、子どもと会話するときの障害になるなぁ…と何度も何度も感じている。

 

これもこめさんによく言われることだが、「一回言われて自分はできるようになったのか」と振り返ると、まるでそんなことはなく、むしろ何回も何回も言ってもらえて何年もかけてやっと自覚してきた(しかも自覚しただけでなおせてはいない、というか内容によってはたぶんそれはもうなおせないんだけど)という段階だ。子どもだろうと大人だろうと、そりゃそうだろう…と思う。さらに一回で全部伝わるように言おうとすると、説明がえらくながくなる、そして伝えたいことがぼやける、わかりにくい…。そんんなところが私のコミュニケーション下手なところなんじゃないかな、と、最近は思っている。

 

これは私だけじゃなくて、わりとよくある、特に指導案などの話をしていても思うのだけれど、一回で伝わるように、と思いすぎるのは、かえってコミュニケーションを損ねる気がする。一回で伝わらなくても、質問をしてもらったり、何回か言い直してみたり、言い換えてみたりしながら伝えたらいいのだ。そのとき伝わらなくても、そういえばあのときああいったけど、あれってこういうことでね、って後で言ったっていい、家族なんだからその機会はあるはずだ。

 

言葉を重ねること。言葉は重ねてもいいんだ、ということ。わかりあいたい、わかってほしい、伝わって欲しいと思う人とやりとりをするときに、そんなことを心掛けたいなぁと最近思っている。