はるのねいろ

まめたろうとこまめの成長記録です。

土日の忙しさとお兄ちゃんへのケア(親業修行中)

こまめが生まれてから、土日が本当に疲れるようになった。月曜日にまめた、こまめを送り出してからほっとする感じだ。まめたが小さい頃、まだ親との関わりを求めている頃も週末の過ごし方に色々と試行錯誤していたけれど、それともまた違う2人育児の土日の疲れ方があるんだなぁ、と、感じている。

 

基本的にこまめの今の欲求は、ミルク、眠い、だっこ、おむつ。そしてどうしてもこまめ抱っこの時間が長い。まめたのえらいところは、こまめの対応をしている間はしっかり待てるところで、「ちょっと待ってね」て待っていてくれる。そして、こまめがようやく寝た、やれやれ、と思ったタイミングで、まめたろうが待ってました!とばかりに、「ねえお母さん、○○しよ~/〇〇して~」がやってくる。

 

これ、まめたろうの視点からしたらしっかり待てて本当にえらいなぁと思うのだけれど、親の視点から見ると、絶えず子どもからの欲求があり、それに応え続けるという事態になってしまって、結構大変だ。土日はこれがずっと続き、そして途中でご飯作ったり洗濯したり、やらなければならない家事が入るわけで、親目線の土日は本当に休まらない。

 

まめたろうは一人遊びもできるようになってきたと思ったのだけれど、こまめが生まれてから親に構って欲しいことも増えたため、「一緒にやろう」の要求も増えたようにも思う。私も気持ちとしてはそれに応えたいと思っているし、応えようとしてはいる。とはいえ私も少しは休みたい…休ませてくれ…頼むから少し一人にしてくれよ…。

 

土日の大変さはこめさんともよく話していて、月曜日の朝にお互い「やれやれやっと月曜日だね」と一息つく感じ。今はこめさんがいてくれるからいいものの、これ、私ひとりになったらどうなるんだろう?と、ちょっと想像がつかない。ただ、まめたろうのほうは結構空気を読むところがあり、これまでもおかあさんだけの時で、お母さんが本当にどうしようもなくなっていたりすると何も言わずとも率先して自分のことをやったり、場合によってはお手伝い的なことをしてくれたりもする。お母さんが困って慌てていると、「おかあさん、○○したらいいよ!ぼく○○してくるね!」などと頼もしい発言や行動をとってくれたりもする。まめたろうに無理をさせたくないとは思っているので、そこは親が気を付けないといけないと思うのだけれど、そういう彼なので、家族みんなで協力しながら過ごせばなんとかなるんじゃないかな、とも思っている。

 

そういえば、私が出産で入院している期間、彼はおばあちゃんと2人のときはおうちでいい子に過ごしていいたらしいのだけれど、学校では少し荒れ気味だったらしいと聞いた。学校でいい子にしていたときは家で荒れていたこともあったので、どちらかでそうやって自分の疲れを出すことができるなら安心かな、と思ったりもする。とはいえ、家族みんなでご機嫌に過ごすためにはどうしたらいいか、は、これからも試行錯誤なんだろう。

 

きっと本人も言葉にはできないのだろうけれど、こまめがずっと抱っこされたりしているのを見ていて、なんとなくさみしさ?やきもち?を感じているのかな、と思うときはある。ただ、まめた自身はもう今更こまめみたいに抱っこしてほしい欲求があるわけではないので、それが「一緒に○○しよう」とかになっているんだと思う。そして、これもなんとなーくだけど、お母さんがこまめにべったりなのはちょっと思うところがあるんだろうな、と。そうだよねぇ、お母さんと2人の時間が本当に長かったものね。

 

そんなこともあり、こめさんからの提案やまめたからの要望もあり、週末にまめたろうと2人でおでかけの時間を作ってみたり、学校に行くときに途中まで2人で一緒に行ってみたりしている。私ははっきり言って塩対応気味のお母ちゃんで、あんまり優しくはないのだけれど…でもそんなお母さんでも一緒にいたいと思ってくれて、それを必要としてくれているのだから、応えたいなあと思う。というか疲れると塩対応のお母ちゃんでごめんよ…とも思う。なにせもともと冗談とかが通じないタイプの人間のため、小学生男子のおふざけとか笑ってあげられないのだ。ごめんよ…。

 

こまめの親への要求は、これからどんどん広がり、増えていくだろう。まめたろうの親への要求、親と一緒に何かしたい、という要求は、たぶんあと2、3年くらいなのかもしれない。そう思うと、今はまめたろうの要求に丁寧に応えてあげたいなぁ、と思う。思うのだけれど、でも大変だなぁ、でもがんばりたいなぁ、がんばれるように、家族で相談しながら日々を過ごしていけたらなぁ。そんなことばかり考えている今日この頃。