はるのねいろ

まめたろうとこまめの成長記録です。

家族と暮らし(親業修行中)

まめたろうが小さいとき、家族が離れて暮らすようになった頃、「ここは3人の家?」みたいなことを聞いたらしい。こめさんが、今でも覚えていると話してくれた。そしてなんと薄情なことに、わたしは全く記憶にないのだった。

 

その頃の彼の持っている概念や表現を使ってその言葉を言ったのだろう、と想像する。きっとそれは、これからは3人で暮らせるのか、というような意味なのではないかと思う。

 

当時の彼はまだ小さくて、明確に寂しがったりすることもなく、この時期だからなんとかなったんだな、もう少し大きくなってたら難しかったかな、このタイミングで良かったんだ、などと思っていた。でも、一緒に過ごしたいという気持ちをそういう形で示していたのだと改めて思った。

 

そして年中さんになる前後、彼は、他のお友達を引き合いに出し、なんで自分には兄弟がいないのか、兄弟が欲しい、ペットが欲しい、などとよく言っていた。でも、お父さんと一緒に暮らしたい、という言い方をしたことは、この頃はあまりなかったと思う。

 

それから、4歳くらいの頃。どうしてお父さんは一緒に暮らしていないのか、ということを聞かれたことがある。なんでなんだ!と怒ったり悲しそうにしたりするわけでもなく、「ひとつの疑問」として聞いてきた。お仕事の場所が違う場所にあるから、というようなことを話して、彼は理解したようだった。

 

子どもは、自分の暮らし方の大部分を決めることができない。そんなことを、彼を通して感じる。彼の気持ちをどれくらい家族のことの中で聞けているだろうか。思い通りにならなくても、彼は自分の希望を、私たちに伝えられているだろうか。

 

そんなことをずっと思っていたので、近頃、お父さんと離れると寂しいと話したり、泣いたり、甘えてくれると、申し訳なさはあるものの、やっぱり少し安心してしまう。本当のところ、実際のところは、どうがんばったってやっぱりわかることなんてできないのだけれど、寄り添う努力は続けられるといいなぁ、彼が自分の希望を言えるような環境は、整えてあげられるといいなぁ、と思っている。

 

最近も、お父さんをお見送りするときは必ず泣いているが、最初は泣いているけれども、だんだん「もう少し泣いておこうかな」「そろそろやめようかな」みたいな感じで涙を終わらせることが多い。カレンダーを見て、次にお父さんが来る日を確認して、「あと◎かい ねたらおとうさんくるじゃん!はや!」とも言っている。まめたろう自身の成長もあって、私たちの暮らし方も変わってきている。