はるのねいろ

まめたろうとこまめの成長記録です。

「わかった」か「知ってる」か(親業修行中)

どんな職種でもそうなのかもしれないが、4月は何かと忙しい時期だ。そこに加えて、まめたろうも小学1年生、「小学生になったらできることがたくさん増えた!」とニコニコ嬉しそうに毎日通っているものの、それでも日々やっぱり疲れて帰ってくるので、以前はできていたことができない場面もしばしば。前述の通り、4月は母ちゃんも疲れ気味なので、そんな彼に寄り添えない(というかキツイ)こともしばしば。

 

お互い疲れていることに加えて、彼のほうはそういうお年頃なのか、母ちゃんが言ったことに対して「知ってる!」「いまやろうと思ってた!」と強くいうことも多くなった(年長さんの頃からよく言っていたけれど)。「ごちそうさましたら、お皿片付けてね。」「知ってる!」、みたいな感じである。そして、母ちゃんとしては、そういう風に言う気持ちはまあわかる、わかるけれども、やっぱりそう言われるのは嫌なのだった(笑)

 

それで、「「知ってる」じゃなくて、「わかってるよ」って言って欲しいんだけどお願いできない?」という話をした。なんとなくなのだけれど、「知ってる」と言われると母ちゃんがもやっとするのは、「そのことを知っている=お皿を片付けるということを知っています」と言われているだけで、本当にするのかなぁ、とか思っちゃうので、「わかってるよ」と言って欲しい、と。わかっている、のほうが、なんとなく行動を伴う感じがする…と、いうようなことを説明した。

 

これは私だけなんだろうか、「知ってる」だけだと行動が伴わない感じがするのだ。それで、「今やろうと思ってた」はまだいいんだけれど、「知ってる」って、知識だけ言われても!みたいな気持ちになっちゃうのだ。

 

まあそれぞれの言葉の意味はこのあと辞書を引くとして、母ちゃんはそう感じるから、母ちゃんに言うときはそうして欲しいんだよ、というお願いをしたわけである。まめたろうは、最初は「知ってるもわかったもおなじだよ?」という感じでいたが、母ちゃんの下手な説明を聞きながら、なんとなくは理解してくれたようで、「わかったよ」と言ってくれた。

 

親子とはいえ、違う人間が暮らすので、できるだけお互いに気持ちよく暮らせるといいなと思いつつ、なんで「知ってる」って言われるのがこんなに嫌なのかなぁ、と自分でも不思議に思うのだった。